3行でいうと
- 海馬は情報を選別する関所で、繰り返しは海馬に重要だと思わせる。
- 記憶の物理的な基盤は、シナプスが強まる長期増強(LTP)である。
- 復習は翌日・1週間後・2週間後・1か月後が目安だと示す。
- 興味や感情、アウトプットが記憶の定着を高める。
向いている人
受験や資格の勉強をしている人、学び直しをしたい社会人、記憶の仕組みを知りたい人に向きます。予備知識なしで読めます。
読む意味
記憶術の小技ではなく、記憶が定着する仕組みから学び方を考える視点が得られます。脳の仕組みと日々の勉強の工夫を結びつけて理解できます。
どんな本か
脳研究者の著者が、記憶が脳の中でどのように作られ、長く保存されるのかを、当時の最新の脳科学にもとづいてやさしく解説した講談社ブルーバックスの一冊です。精神論や根性論ではなく、脳という器官の性質を理解したうえで、記憶を効率よく定着させる学習法を示します。
本書の中心にあるのは海馬です。海馬は日々入る大量の情報から、生きるために必要かどうかを選別し、必要と判断した情報だけを大脳皮質に送って長期記憶にする、いわば関所の役割を果たすと説明されます。保存場所ではなく仮置き場にすぎない、という位置づけも述べます。だから同じ情報を何度も送り込むと、海馬が「何度も来るから大事なのだ」と錯覚し、定着する、これが反復学習の神経科学的な根拠だとされます。記憶の物理的な基盤としては、神経細胞のつなぎ目(シナプス)が繰り返しの刺激で強まる長期増強(LTP)と、その分子の仕組みが紹介されます。
実践面では、エビングハウスの忘却曲線を背景に、翌日、1週間後、2週間後、1か月後と間をおいて復習する具体的なスケジュールが示されます。興味や好奇心、扁桃体が関わる感情の動き、空腹時のホルモン(グレリン)が記憶を助けること、読み返すより問題を解くアウトプットの方が効果的なことも紹介されます。後半では記憶の種類と加齢の関係が扱われ、丸暗記は衰えやすい一方、関連づけて理解する力は年齢とともに有利に働きうるとされます。
中身の柱
- 海馬の役割。情報を選別して大脳皮質に送る関所。
- 長期増強(LTP)の発見と、シナプスの強化の仕組み。
- 忘却曲線と、効果的な復習のタイミング。
- 興味・感情・空腹感など、記憶を高める要素。
- 記憶の種類の分類と、加齢による変化。
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概要
本書は講談社のブルーバックスシリーズの一冊(通巻1315番)として2001年1月19日に初版刊行された、全280ページに及ぶ新書である。脳研究者である著者が、記憶がどのように脳内で形成され、そして長期的に保存されるのかという仕組みを、当時最新の脳科学の知見に基づいてやさしく解説した一冊。単なる精神論・根性論に頼るのではなく、脳という器官そのものの性質をしっかりと理解したうえで、効率よく記憶を定着させるための具体的な学習法を提示している。著者の池谷裕二は1970年8月16日、静岡県藤枝市の生まれである。東京大学の理科一類に入学した後に薬学部へと進学し、1993年には薬剤師国家試験にも合格し、1998年に同大学大学院薬学系研究科で博士(薬学)号を取得した。取得した同年から東京大学大学院薬学系研究科の助手を務め始め、2002年から2005年にかけては米コロンビア大学の客員研究員を務めた後、2006年には講師、2007年には准教授、そして2014年からは教授として、海馬や大脳皮質が持つ可塑性についての研究を長年の専門としている。2008年に文部科学大臣表彰若手科学者賞、2013年には日本学術振興会賞および日本学士院学術奨励賞を受賞するなど、研究者としての実績についても国内で高く評価されている。著者は薬学部出身で海馬の研究を専門とする脳研究者であり、専門論文レベルの知見を一般読者にも理解できる比喩(海馬を「情報の門番」、シータ波を「記憶の合言葉」にたとえるなど)を用いて解説する筆致に定評がある。
本の構成
記憶を司る脳の部位である海馬の役割の説明から始まり、記憶が定着していく神経メカニズム(LTP=長期増強)とその発見に至る歴史、記憶力を高めるさまざまな要因(興味・感情・空腹感など)、そして効果的な復習のタイミングへと段階的に展開していく構成になっている。後半では、記憶の種類(意味記憶・エピソード記憶・手続き記憶など)の細かな分類や、加齢に伴って記憶力がどのように変化していくのかという関係についても、あわせて詳しく触れられている。
主要な内容(詳述)
- 海馬の役割: 「海馬」という名称そのものは、その形がタツノオトシゴやギリシャ神話に登場する馬の頭を持つ海の生物ヒッポカムポスに似ていることに由来するとされる。大脳の奥深くにある小さな部位である海馬が、日々入ってくる膨大な情報の中から「生きていくために必要かどうか」を選別し、その中でも本当に必要と判断された情報だけを選りすぐって大脳皮質へと送り出し、長期記憶として定着させる、いわば関所のような役割を果たしているとする。海馬は入ってきた情報を覚えるべきかどうか判断する役割を担う一方で、情報そのものを永続的に保存しておく場所では決してなく、あくまで一時的な仮置き場にすぎないという位置づけも、あわせて丁寧に説明される。
- 海馬をだます繰り返し: 海馬は本来生存に不可欠な情報を優先するが、同じ情報を何度も繰り返し海馬へと送り続けることで、「これほど何度も入ってくるのだから重要な情報に違いない」と海馬に錯覚させ、本来であれば重要度が低いと判断されるはずの情報でも、あたかも生存に不可欠な情報であるかのように長期記憶として定着させられるとする。これこそが、反復学習というごく古典的な学習法が現代においても効果を持ち続ける神経科学的な根拠なのだと説明する。あちこちの複数の参考書に手を広げるよりも、同じ一冊の教材を繰り返し使い込む方が海馬をだましやすく、結果として記憶にも残りやすいという実践的な助言も導かれている。
- LTP(長期増強)とその発見: 神経細胞同士のつなぎ目である結合(シナプス)が繰り返し刺激されることで、その結合そのものが強化され信号がより伝わりやすくなる現象がLTP(長期増強)であり、これこそが記憶を形作る物理的な基盤になっているとする。LTPは1973年、イギリス出身の研究者ティモシー・ブリスがノルウェー人研究者テリエ・レモとともにオスロ大学で行った実験により、ウサギの海馬において発見した現象であり、神経伝達物質グルタミン酸とその受容体であるNMDA受容体が、シナプスの結合強化に中心的な役割を果たすことが解説される。具体的には、シナプス前細胞から放出されたグルタミン酸がシナプス後細胞のNMDA受容体に結合すると、通常はマグネシウムイオンによって塞がれているこの受容体のチャネルが開き、カルシウムイオンが細胞内に流入することで一連の生化学的な連鎖反応が引き起こされ、シナプスの伝達効率が長期的に高まるという分子メカニズムが紹介される。海馬は大脳の側頭葉内側に左右対称に一対存在しており、アルツハイマー病をはじめとする加齢に伴う記憶障害においては、まさにこの海馬から萎縮が始まっていくケースが多いことも、本書はあわせて指摘している。脳波計で観測される周波数4~8ヘルツ帯の脳波であるシータ波は、神経細胞集団の同期的な活動によって生じ、好奇心を感じているときに海馬でとりわけ強く現れることが知られている。このシータ波が出ているタイミングではLTPが起こりやすく、少ない繰り返しでも記憶が定着しやすいとされる。
- 効果的な復習のタイミング: 一度学習した情報がすっかり忘れられてしまう前に、学習の翌日、1週間後、2週間後、1か月後という間隔をおいて意図的に復習を行うことで、効率よく長期記憶として定着させられるという、極めて具体的な復習スケジュールを提示する。この背景には、ドイツの心理学者ヘルマン・エビングハウス(1850-1909)が示した忘却曲線の考え方がある。エビングハウスは「子音・母音・子音」の組み合わせからなる意味を持たない無意味な音節を約2300個も自ら作成し、メトロノームの規則正しいリズムに合わせてそれらをひたすら暗唱するという実験をまさに自分自身を被験者として何度も繰り返し、記憶が薄れていく過程を客観的な数値として定量的に測定した。その粘り強い自己実験の結果は1885年に刊行された著作『記憶について―実験心理学への貢献』として結実し、学習した内容は最初のわずか20分間のうちに急激に忘れられてしまい、1時間後にはさらに大きく減衰した後、1日を過ぎたあたりからようやく忘却のペースが緩やかになっていくという、指数関数的な忘却のパターンを実証的に明らかにしており、忘れかけたタイミングで思い出す努力をすることが、記憶の再固定化を促し定着率を高めるとされる。
- 記憶を高める要素: 興味・感情の動き、そして空腹時に分泌されるホルモン(グレリン)などが、記憶の定着を促進する要素として働くことを紹介する。グレリンは、国立循環器病センター研究所に所属していた寒川賢治らの研究グループが1999年にヒトとラットの胃から発見した、28個のアミノ酸が連なってできた成長ホルモン分泌促進ペプチドであり、本書ではこの空腹時に分泌されるホルモンが海馬に働きかけ、学習や記憶にまつわる機能をさらに高めうるという点が取り上げられている。また、記憶した情報をただ読み返す「インプット」よりも、問題演習やアウトプット作業(自分の言葉で説明する、テストを解く)の方が記憶の定着に効果的であることにも触れており、これはいわゆる「テスト効果」として後年の認知心理学研究でも繰り返し確認されている現象であるとする。
- 記憶の種類と加齢: 事実についての意味記憶、個人的な体験についてのエピソード記憶、身体で覚える手続き記憶など、記憶にはさまざまな種類が存在している。このうち意味記憶とエピソード記憶の区別は、エストニア生まれでカナダのトロント大学を拠点に活躍した心理学者エンデル・タルヴィングが1972年に発表した論文「Episodic and Semantic Memory」で提唱した分類に基づいているとされ、それぞれ加齢による衰え方の度合いが大きく異なることを説明する。単純な丸暗記の力(意味記憶)は加齢とともに衰えやすい一方で、豊富な経験に基づいた理解力や、物事同士を関連づけて覚える力はむしろ年齢を重ねるほどに高まりうるとし、大人になってからの学習法としては、何よりも「関連づけ」を重視すべきだと提案している。
具体例
義務感からではなく好奇心を持って自発的に取り組んだ学習ほど記憶に残りやすいという説明や、海馬のすぐ隣に位置しており感情の処理を司る扁桃体が強く活動するような出来事ほど、その情報は海馬においても重要なものだと判断されやすくなり、結果としてより鮮明に記憶に刻まれていく仕組み、ブリスとレモによる海馬でのLTP発見の実験、そして具体的な復習間隔のスケジュールなど、日々の学習にそのまま直接応用できる形で、数々の研究知見がわかりやすく紹介されている。空腹状態のマウスにグレリンを投与すると学習成績が向上したという動物実験の結果も、空腹と記憶力の関係を裏付ける具体例として挙げられている。
実践への応用
新しいことを学ぶ際には、一夜漬けに頼るのではなく、学習の翌日・1週間後・2週間後・1か月後というタイミングを見計らって意図的に復習を重ねていくこと、また単調な反復に終始するのではなく興味や好奇心を持って主体的に取り組むことで記憶の定着率をさらに高めていくことなどが、実践への応用として挙げられる。また、複数の教材に手を広げず同じ教材を繰り返し使うこと、読むだけでなく問題を解くなどアウトプットを重視すること、感情を伴う形(エピソードや物語)で情報を関連づけて覚えることなども、具体的な学習戦略として提示されている。さらに、暗記が中心となる意味記憶は加齢の影響を受けやすい一方、経験と結びつけて物事を理解する力はむしろ年齢を重ねるほど有利に働きうるという知見は、社会人になってから改めて学び直す際において、若い時分のような単純な丸暗記だけに固執せず、既存の知識や過去の経験と結びつけながら新しい情報を取り込んでいく学習スタイルへと切り替えていくことの重要性を示唆している。
位置づけ・評価
脳科学の最先端の知見を、誰もがすぐに実践できる具体的な学習法にまで落とし込んだ実用性の高い一冊として、受験生や資格試験の学習者を中心に長きにわたり読み継がれている、著者の代表作の一つとして位置づけられている。池谷は本書のほかにも、講談社ブルーバックスから2007年に『進化しすぎた脳』を、また扶桑社から2012年に『脳には妙なクセがある』を刊行するなど、脳科学の知見を一般読者向けにわかりやすく伝える著作を数多く発表しており、扶桑社から刊行された『パパは脳研究者』のように、自らの子育て経験を脳科学者ならではの視点から丁寧に綴ったエッセイも手がけている。同じ著者が作家の糸井重里との対談形式でまとめた『海馬―脳は疲れない』とあわせて読まれることも多く、難解な専門知識を、専門家でない一般読者にも平易な言葉でわかりやすく伝えるという著者ならではのスタイルを確立した、初期を代表する重要な一冊として高く評価されている。