3行でいうと
- デザイナーの思考法は、組織の戦略やサービス、社会課題にも使える問題解決の方法だ
- 望ましさ・実現可能性・存続可能性の3つを、利用者の望ましさを出発点に統合する
- 専門性の深さと幅広い関心を併せ持つ「T字型人材」と、多様なチームが必要だ
- 粗い試作を早く作って利用者に試してもらい、安いうちに失敗から学ぶ
向いている人
新しい商品やサービスを考える人、企画や研修を担当する人に向きます。デザインの経験がなくても読めます。
読む意味
アイデア出しと試作を繰り返す進め方が、ソフトウェア開発のアジャイルやリーン・スタートアップとも相性が良いことが分かります。事例が具体的なので、自分の仕事に置き換えて考えやすい本です。
読むときの注意
書評は、2010年代後半以降、デザイン思考が流行語になって表面的な手法の模倣に終わり成果を生んでいないという批判や、複雑な組織課題や不確実性の高い問題には限界があるという指摘があると述べます。
どんな本か
デザイン会社IDEOの元CEOティム・ブラウンが、2009年に出した本です。IDEOが長年のデザインの実務で培った「デザイナーの思考法」を、デザイナー以外のビジネスパーソンや組織のリーダーが使える問題解決の方法として一般化し、「デザイン思考」という言葉を広く知らせた代表的な一冊です。日本語版は千葉敏生の訳で早川書房から出ており、2019年に内容を刷新した改訂版にあわせたアップデート版も出ています。
核心は、利用者への深い共感にもとづく観察、幅広い選択肢を出す発散的な思考、手を動かして試作し確かめる反復的なプロトタイピングといった、優れたデザイナーの進め方が、あらゆる種類のイノベーションに応用できるという主張です。成功の条件として、利用者にとっての「望ましさ」、技術的な「実現可能性」、事業としての「存続可能性」を挙げ、従来の技術主導や事業計画主導の進め方に対して、まず利用者の望ましさを起点に置きます。プロセスは、アイデアを広げる段階と絞り込む段階を、直線ではなく行き来しながら進みます。
事例には、自転車メーカーのシマノと組んで、遠ざかっていた一般の人向けの気軽な自転車「コースティング」を生んだ話、病院の看護師の申し送りを患者のそばで行う形に変えた話、買い物のお釣りを自動で貯蓄に回す銀行のサービスなどがあります。1999年のテレビ番組で5日間でショッピングカートを作り直した企画もよく知られた例です。終盤では、デザイン思考を組織文化として根づかせる課題と、貧困、教育、医療、環境といった社会課題への応用が論じられます。
中身の柱
- デザイン思考とは何か:望ましさ・実現可能性・存続可能性の3条件
- T字型人材と、多様な専門性を混ぜたチーム
- 発散と収束を行き来する進め方
- ブレインストーミングの規則と、プロトタイピングによる学習
- 事例と、組織・社会課題への広がり
あわせて読む本
- リーン・スタートアップ試作と検証を繰り返す点で通じる開発手法
- ピクサー流 創造するちから創造的な組織を育てる仕組みの事例
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概要
世界的デザインコンサルティング会社IDEOの元CEOであるティム・ブラウンが、2009年に刊行した著作。IDEOが数十年にわたるプロダクトデザインの実務の中で培ってきた「デザイナーの思考法」を、デザイナー以外のビジネスパーソンや組織のリーダーにも活用できる汎用的な問題解決の方法論として一般化し、「デザイン思考(Design Thinking)」という概念を広く世に知らしめた代表的著作の一冊である。原著は2019年に内容を刷新した改訂版も刊行されており、日本語版は千葉敏生の翻訳により早川書房から刊行され、改訂版も『デザイン思考が世界を変える〔アップデート版〕』として同社から出版されている。IDEOは1991年、スタンフォード大学教授デイビッド・ケリーが率いていたデザイン会社David Kelley Design(元Hovey-Kelley Design、Apple初期のマウス開発などを手がけた)が、ID Two、Matrix Product Designと合併して設立された会社であり、ケリーは後にスタンフォード大学のデザイン教育機関「dスクール(Hasso Plattner Institute of Design)」の創設にも携わっている。ブラウン自身はIDEOのCEOを務めた後、会長職に退いた。
本書の核心は、優れたデザイナーが製品や空間をデザインする際に用いる思考のプロセス――利用者への深い共感に基づく観察、幅広い選択肢を発想する発散的思考、実際に手を動かして試作し検証する反復的なプロトタイピング――が、製品デザインの領域に留まらず、組織の戦略立案、サービス設計、社会課題の解決に至るまで、あらゆる種類のイノベーションに応用できる汎用的な方法論であるという主張にある。ブラウンは、デザイン思考を成功させる条件として、利用者にとっての望ましさ(Desirability)、技術的な実現可能性(Feasibility)、事業としての存続可能性(Viability)という三つの視点をバランスよく統合することの重要性を強調する。
本の構成
本書は、デザイン思考とは何かを定義する導入部から始まり、デザイン思考を実践するための具体的な手法(ブレインストーミング、ビジュアル化、プロトタイピング、ストーリーテリングなど)を解説する中盤部、さらにそれを組織全体に根づかせるための経営論、そしてより大きな社会的課題(貧困、教育、医療、環境)へのデザイン思考の応用を論じる終盤部という構成をとる。序盤ではデザイン思考の三条件(望ましさ・実現可能性・存続可能性)とT字型人材の重要性が提示され、中盤ではIDEOが実際に手がけたプロジェクトを題材に、観察からプロトタイピングに至る一連の実践手法が具体的に描かれる。終盤では、デザイン思考を一過性のプロジェクトではなく組織文化として定着させるための経営上の課題、そして社会的イノベーションへの応用可能性が論じられる。
主要な内容(詳述)
デザイン思考の三つの制約条件
ブラウンは、成功するイノベーションが満たすべき三つの条件として、利用者にとって魅力的で意味のあるものであるかという「望ましさ」、技術的に実現可能であるかという「実現可能性」、事業として持続的に成り立つかという「存続可能性」を挙げる。従来のイノベーションのプロセスがともすれば技術主導、あるいは事業計画主導で進められがちであったのに対し、デザイン思考はまず利用者の「望ましさ」を出発点に据え、その上で残り二つの条件との統合を図る点に特徴があるとされる。
T字型人材とチームの多様性
デザイン思考を実践する組織には、特定分野で深い専門性を持ちながら他分野への幅広い関心と協働能力も備えた「T字型人材」が必要であるとブラウンは論じる。単一分野の専門家だけを集めたチームでは分野横断的な発想が生まれにくく、異なる専門性を持つメンバーが互いの視点を尊重しながら協働することが、革新的なアイデアを生む土壌になるとされる。IDEO自身も、エンジニア・人類学者・心理学者・MBAホルダー・デザイナーといった多様なバックグラウンドを持つスタッフを意図的に混在させたプロジェクトチームを編成することを組織運営の基本方針としてきたことが紹介される。
発散と収束のプロセス
デザイン思考のプロセスは、可能な限り幅広い選択肢やアイデアを生み出す「発散」の段階と、その中から実現可能な解決策へと絞り込んでいく「収束」の段階を、直線的にではなく反復的に行き来しながら進められる。ブラウンはこのプロセスを、単一の正解を効率的に導き出す従来の分析的なアプローチとは異なる、探索的で非直線的な思考様式として位置づける。
プロトタイピングによる学習
本書は、精緻な計画を練り上げてから実行に移すのではなく、粗くても素早く試作品(プロトタイプ)を作り、それを実際に利用者に試してもらうことで学びを得て次の改善につなげるという反復的な開発手法を重視する。プロトタイピングは完成品を作ることが目的ではなく、アイデアの妥当性を早い段階で検証し、失敗を安価なうちに発見するための手段として位置づけられる。IDEOはこの思想を象徴する事例として、1999年にアメリカのニュース番組『ABCナイトライン』の企画「ディープ・ダイブ」において、わずか5日間でショッピングカートを再設計するプロジェクトに挑んだことでも広く知られており、利用者観察からアイデア出し、プロトタイピングまでを圧縮した短期間で回すというIDEO流の方法論を象徴する事例としてしばしば言及される。
事例:シマノの「コースティング」
IDEOがシマノ社と協働で行った自転車事業のプロジェクトでは、従来のロードバイクやマウンテンバイクの購買層ではなく、自転車から長らく離れていた一般消費者への聞き取り調査から出発し、複雑なギアチェンジやペダリング技術を必要としない、誰でも気軽に乗れる新しいカテゴリーの自転車「コースティング」というコンセプトを生み出した事例が紹介される。
事例:病院での申し送り改善
医療機関カイザー・パーマネンテとの協働プロジェクトでは、看護師の勤務交代時の情報伝達(申し送り)における非効率や情報漏れの問題に対し、看護師自身への密着観察を通じて課題を特定し、ベッドサイドで患者を交えながら申し送りを行うという新しい業務プロセスを共同でデザインした事例が紹介される。
具体例
- IDEOとシマノの協働による、初心者向け自転車カテゴリー「コースティング」の開発プロジェクト。
- カイザー・パーマネンテにおける看護師の勤務交代時の申し送りプロセスの再設計プロジェクト。
- バンク・オブ・アメリカの「キープ・ザ・チェンジ」プログラム(買い物のお釣り分を自動的に貯蓄口座に振り替えるサービス)の開発における利用者観察の活用。
- IDEOのオフィスにおけるブレインストーミングの実施ルール(判断を保留する、量を重視する、他人のアイデアに乗っかる、突飛なアイデアを歓迎するなど)。
- 1999年のABCナイトライン「ディープ・ダイブ」特集における5日間のショッピングカート再設計プロジェクト(盗難防止のための取り外し可能な籠、バーコードスキャナーの搭載、子供用シートの改良など)。
- スタンフォード大学dスクールをはじめとする教育機関に対する、デザイン思考の教育カリキュラムとしての導入・普及の事例。
実践への応用
本書はビジネス実務への応用を明確に意図して書かれており、幅広い分野で直接的に活用されてきた。第一に、望ましさ・実現可能性・存続可能性という三条件のフレームワークは、新規事業やプロダクト開発の企画段階で、アイデアを多角的に評価するためのチェックリストとして活用できる。第二に、ブレインストーミングの具体的な運営ルールは、社内のアイデア創出ワークショップの設計にそのまま応用できる実務的な手法として広く採用されている。第三に、粗いプロトタイプを早期に作り利用者の反応を確かめるという反復的な開発手法は、ソフトウェア開発におけるアジャイル手法やリーンスタートアップの考え方とも親和性が高く、製品開発プロセス全体の設計に応用できる。第四に、医療・教育・貧困対策といった社会的課題への応用事例は、非営利組織や公共政策の立案においてもデザイン思考の考え方を導入する際の参考になる。
位置づけ・評価
本書は、「デザイン思考」という言葉と概念を世界的なビジネス用語として定着させた最も影響力のある著作の一つとして位置づけられている。スタンフォード大学の「dスクール」をはじめとする教育機関でのデザイン思考カリキュラムの普及、企業内でのイノベーション研修の広がりなど、本書が与えた実務的な影響は大きい。一方で、2010年代後半以降、デザイン思考がバズワード化し、表面的な手法の模倣に留まって実質的な成果を生んでいないという批判や、複雑な組織課題や不確実性の高い問題に対してデザイン思考だけでは限界があるという指摘も専門家から寄せられている。こうした批判を踏まえ、2019年の改訂版では、デザイン思考を組織文化として定着させる難しさや、より大規模な社会課題への応用に関する議論が追加されており、初版刊行から10年間の実践と反省を反映した内容へとアップデートされている。