3行でいうと

  • 人間は雑食なので、何を食べるかを文化と知識で選ぶ不安を抱える
  • アメリカの加工食品の多くは、トウモロコシに由来する
  • 「有機」の表示と、実際の大規模な生産の姿には開きがありうる
  • 食べ物の由来をたどることは、食と生命の関係を見直す手がかりになる

向いている人

食品の表示や宣伝文句の先にある、食べ物の由来や生産の仕組みに関心のある人。予備知識なしで読めます。

読む意味

「有機」などの表示を額面どおりに受け取らず、その食べ物がどんな生産システムを経て届くのかを問い直す視点が得られます。地産地消やスローフードなど、食をめぐる動きの背景も分かります。

読むときの注意

直接的な実用書ではなく、食の選び方を指示する本ではありません。描かれるのは主にアメリカの食料生産システムです。

どんな本か

ジャーナリストのポーランが、「今夜何を食べるか」という一見単純な問いから、アメリカの食料生産の仕組み全体を掘り下げたノンフィクションです。人間は雑食動物なので、他の多くの動物のように食べるものが本能で決まっておらず、何を食べるかを文化や知識で判断しなければなりません。この「選択の自由と、そこから生じる不安」が書名の「雑食動物のジレンマ」であり、著者は自分の足で食物連鎖をたどって、その現状を明らかにします。

追跡するのは、性格の異なる4つの食事です。トウモロコシを起点とする工業的な食物連鎖(ファストフード)、大規模な流通網に乗った有機食品、小規模農場の牧草で育てた食材による地域の食物連鎖、そして自分で森で狩猟・採集した食事です。第1部では、補助金のもとで生産が増えたトウモロコシが、家畜の飼料、清涼飲料、加工食品の原料へと用途を広げ、アメリカの食を支配している様子が描かれます。肥育場では、草を食べる牛に穀物を与えるため胃の不調が起きやすく、抗生物質が常に投与される実情も示されます。

第2部は、牧歌的なイメージの「有機」と、大手の売り場に並ぶ有機食品を生む企業的な農業との落差を検証し、牛・鶏・豚を組み合わせて育てる複合農場と対比します。第3部では、著者がキノコを採り、猪を狩って一食を仕上げる過程を通して、動物を殺して食べることの倫理的な葛藤まで正面から扱います。

中身の柱

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概要

ジャーナリストのマイケル・ポーランが、「今夜何を食べるか」という一見単純な問いを起点に、アメリカの食料生産システム全体を掘り下げたノンフィクション。人間は雑食動物であるがゆえに、他の多くの動物のように食べるべきものが本能的に決まっておらず、何を食べ何を食べないかを文化や知識によって判断しなければならない。この「選択の自由と、それゆえの不安」こそが表題の「雑食動物のジレンマ」であり、本書はこのジレンマが現代のアメリカでどのように解決され、あるいは解決されないままになっているのかを、実際に自らの足で食物連鎖をたどることによって明らかにしていく。全米で100万部を超えるベストセラーとなり、後の食に関するノンフィクションの潮流に大きな影響を与えた一冊とされる。

ポーランは本書で、性格の異なる4つの食事を軸に4つの食物連鎖を追跡する。ひとつはトウモロコシを起点とする工業的な食物連鎖(ファストフードの食事)、ふたつめは有機農業を標榜する大規模な流通網による食物連鎖(スーパーマーケットの高級食材による食事)、みっつめは代替的な小規模農場による地域に根ざした食物連鎖(牧草で育てられた食材による食事)、よっつめは自ら森で狩猟・採集した食材による食事である。この4つの食事を実際に自分で調達し調理して食べるという体験を通じて、それぞれの食物連鎖が抱える利点と問題点を具体的に描き出している。

本の構成

上下巻構成(東洋経済新報社、上巻2009年10月・下巻2009年11月刊行、訳者ラッセル秀子)。序章「摂食障害に病むアメリカ」に続き、第1部「トウモロコシ―工業の食物連鎖」、第2部「牧草―田園の食物連鎖」、第3部「森林―私の食物連鎖」という3部構成をとる。

第1部は、植物としてのトウモロコシがいかにしてアメリカの農業と食品産業を支配するに至ったかを、種子・農場・カントリーエレベーター(穀物集積施設)・肥育場・加工工場・消費者・食事(ファストフード)という一連の流れに沿って描く。第2部は、工業的食物連鎖に対する代替として語られることの多い「牧草を用いた田園の食物連鎖」を、大規模化した有機農業(ビッグ・オーガニック)と、ポリフェイス・ファームに代表される小規模な複合農場という対照的な二つの姿を通じて検証する。第3部は、著者自身が森でキノコを採集し、野生の猪を狩猟し、それらの食材から一食分の料理を仕上げるまでを追う個人的な食物連鎖の記録であり、雑食動物のジレンマという主題そのものに正面から向き合う内容となっている。

主要な内容(詳述)

トウモロコシがアメリカの食を支配する仕組み(第1部)

アメリカの食品売り場に並ぶ加工食品の原材料表示をたどると、コーンシロップ、コーンスターチ、キサンタンガム、各種の乳化剤や甘味料に至るまで、驚くほど多くの成分がトウモロコシに由来することが示される。これは政府による補助金政策のもとでトウモロコシの生産性が飛躍的に高まり、供給過剰となったトウモロコシを消費するための出口として、家畜飼料や清涼飲料、加工食品の原料としての用途が次々に開発されていった結果であるとされる。

肥育場(フィードロット)の実態

牛は本来は草を消化するために進化した反芻動物であるにもかかわらず、肥育場では成長を早め肉質を良くするためにトウモロコシを主体とした穀物飼料が与えられる。トウモロコシは牛の胃の生理に適していないため消化器系のトラブルが起きやすく、それを抑えるために抗生物質が恒常的に投与されているという肥育場の実情が描かれる。狭い区画に多数の牛を集約して飼育する方式は、生産効率という点では合理的である一方、動物の健康や環境負荷、抗生物質の多用による耐性菌のリスクといった副作用を伴うものとして提示される。

「ビッグ・オーガニック」への批判的検証(第2部)

「有機(オーガニック)」という表示が消費者に喚起する、小規模な家族経営の牧歌的な農場というイメージと、実際に大手小売チェーンの棚に並ぶ有機食品を生産している企業的な農業経営との間には、しばしば大きな乖離があることが指摘される。有機認証の基準を法的に満たしてはいても、実質的には工業的食物連鎖とよく似た大量生産・大量流通の論理で動いている生産者が少なくないという実態を、著者は「スーパーマーケットの牧歌(パストラル)」と呼び、有機表示だけをもって食の問題が解決したと考えることの危うさを指摘している。

ポリフェイス・ファームの複合的な農法

バージニア州にあるポリフェイス・ファームの経営者ジョエル・サラティンは、牛・鶏・豚といった複数の家畜種を組み合わせ、それぞれの生態的な習性を利用し合う輪換放牧(ローテーショナル・グレイジング)を実践している。たとえば牛の群れを移動させたあとの牧草地に鶏を放つことで、牛の排泄物に集まる虫を鶏が食べて糞を分解し、同時に牧草地に肥料を与えるという具合に、単一の生産物を大量生産する工業的な農法とは対照的な、複数の生物種が連関し合うシステムとしての農場経営のあり方が描かれる。

狩猟採集という第三の道(第3部)

著者は、キノコ採集の愛好家グループに同行して野生のキノコを採り、猟師の案内で野生の猪を狩猟し、それらの食材を用いて一食分の料理を自ら作り上げる体験を記録している。この過程では、自分が口にする食べ物がどこから来てどのようにして食卓に至るのかを一から把握できることの意味や、動物を殺して食べるという行為に伴う倫理的な葛藤が正面から扱われ、工業的な食物連鎖のもとでは見えなくなってしまっている食と生命の関係を、あらためて可視化する試みとして位置づけられている。

具体例

第1部では、著者がアイオワ州の農家を訪ね、政府の補助金制度のもとで市場価格を下回る価格でトウモロコシを売らざるを得ない農家の経済状況を具体的に取材している場面が描かれる。またファストフード店で購入した食事に含まれる各成分をたどり、そのほとんどがトウモロコシ由来であることを一つひとつ確認していく描写も、トウモロコシ依存の実態を印象づける具体例として用いられている。

第2部では、「有機」と表示された鶏肉のパッケージに描かれた放し飼いのイメージと、実際にその鶏がごく限られた時間だけ屋外に出られる小さな出口のあるだけの大規模鶏舎で育てられている実態との落差が、著者自身の現地取材によって具体的に描かれる。対照的にポリフェイス・ファームでは、鶏を移動式の鶏舎(エッグモバイル)で牧草地を巡回させながら飼育する様子が、複合的な農法の実例として詳しく紹介される。

第3部では、著者が自ら仕留めた猪を解体し、採集したキノコとともに調理して友人たちを招いた食事会を開く様子が描かれ、これが本書全体の締めくくりとなる「完璧な食事」の具体的な内容として提示されている。

実践への応用

本書は直接的な実用書ではないが、食品を選ぶ際に原材料表示やパッケージ上の謳い文句だけでなく、その食品がどのような生産システムを経て食卓に届いているのかを問い直す視点を提供する。「有機」「オーガニック」といった表示を額面通りに受け取るのではなく、その背後にある生産規模や流通の実態にまで関心を向けることの重要性、また加工食品に多用される安価な原料(特にトウモロコシ由来の成分)への依存が、食生活全体にどのような影響を及ぼしているかを考える手がかりとしても読むことができる。地域に根ざした小規模な生産者から直接食材を入手する、あるいは自分の口にするものの由来をできる限りたどるという著者の姿勢そのものが、食に対する意識的な向き合い方の一つのモデルとして参照され得る内容になっている。

位置づけ・評価

本書は2000年代以降に欧米で広がったフードムーブメント(地産地消、スローフード、有機農業への関心の高まりなど)を代表する著作の一つとして位置づけられており、著者マイケル・ポーランはその後も『In Defense of Food』『Cooked』など食をテーマにした著作を継続的に発表し、食と農をめぐるジャーナリズムの分野で影響力のある書き手として知られるようになった。本書はジェームス・ビアード賞やカリフォルニア・ブック賞など複数の賞を受賞しており、食料生産システムの複雑さと、そこに内在する倫理的・環境的な問題を一般読者に向けて平易に提示した先駆的なノンフィクションとして、食と農をテーマにした議論において繰り返し参照される定番的な著作となっている。