3行でいうと

  • 根拠の乏しい「危険」情報は、決まった手順で生まれ、広がっていく
  • 撤回された論文も、形を変えて引用され続けることがある
  • 確認点は、一次情報、サンプル数、引用の偏り、報道側の事情
  • 「危険」報道は、ワクチンなどで公衆衛生に実害を与えた例がある

向いている人

食や健康のニュースやSNSの情報を、鵜呑みにせず確かめたい人。食品関係の広報や、報道に携わる人にも向きます。

読む意味

食と健康の情報に接したとき、元の論文や統計、撤回の有無、発信者の立場を確かめる手順が身につきます。遺伝子組換えに限らず、健康食品やダイエット情報にも使える考え方です。

読むときの注意

遺伝子組換え作物の安全性を一から論証する本ではなく、危険性を示すとされた研究の信頼性を検証するメディア・リテラシーの本です。著者は科学的合意に立つ立場で、慎重派からは業界寄りとの批判もあります。

どんな本か

薬理学者の唐木英明氏と、食の安全を長く取材してきたジャーナリストの小島正美氏が、食や健康をめぐる「危険」情報のうち、科学的な根拠が乏しいのに社会に定着した事例を取り上げ、それがどんな手順で生まれ、増幅されたかを検証した本です。遺伝子組換え作物、残留農薬、食品添加物などの「危険」言説を、感情論ではなく一次データと科学的な検証にもとづいて再検討する、という姿勢で書かれています。

中心になる事例は、遺伝子組換えトウモロコシと除草剤を長期に与えたラットに腫瘍が多発したとする2012年の論文です。世界的に報道されましたが、使った系統のラットが元々腫瘍の出やすい系統だったことや、群の数が足りないことなど、実験の設計への批判が相次ぎ、掲載誌は論文を撤回しました。著者らは、撤回後も「危険の証拠」として引用され続け、誤情報は一度広がると訂正が追いつかないという構造を指摘します。ほかにグリホサートをめぐる評価の違いも解説されます。国際がん研究機関は物質自体の有害性(ハザード)を評価し、各国の規制当局は実際の使用量を踏まえたリスクを評価するため、結論が食い違って見える、という説明です。

本書が繰り返す方法は、査読を経た一次情報に当たる、統計とサンプル数の妥当性を確かめる、特定の立場の引用だけに頼っていないか見る、メディアが危険を強調しがちな事情を知る、の4点です。BSE騒動、子宮頸がんワクチンの報道、福島第一原発の処理水をめぐる反応なども、情報拡散のパターンを比べる材料として扱われます。

中身の柱

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概要

本書は東京大学名誉教授で薬理学者の唐木英明氏と、長年食の安全問題を取材してきた食生活ジャーナリストの小島正美氏が2024年にウェッジ社から刊行した書籍で、食や健康をめぐる「危険」情報のうち、科学的根拠に乏しいまま社会に広く伝わり定着してしまった事例を取り上げ、それらがどのような手順で生まれ、増幅されていったのかを検証している。両著者はともに長年にわたり食品安全のリスクコミュニケーションに携わってきた立場から、遺伝子組換え作物、残留農薬、食品添加物などをめぐる「危険」言説を、感情論ではなく一次データと科学的な検証に基づいて丁寧に再検討するという姿勢を貫いている。唐木英明氏(1941年生まれ)は東京大学農学部獣医学科を卒業後、同大学で助手・助教授・教授を歴任した獣医薬理学の専門家で、2003年に東京大学名誉教授となった後、日本学術会議副会長(2008-2011年)、食品安全委員会専門委員、倉敷芸術科学大学学長などを歴任し、現在は公益財団法人食の安全・安心財団の理事長を務めている。共著者の小島正美氏は愛知県犬山市出身、愛知県立大学卒業後に毎日新聞社に入社し、東京本社生活報道部で長年にわたり食の安全・健康医療問題を担当した元編集委員で、『誤解だらけの「危ない話」』(2008年)や『メディア・バイアスの正体を明かす』(2019年)など、食品リスク報道の問題点を扱う著書を多数発表してきた科学ジャーナリストである。指定書名「遺伝子組換え食品を検証する」に完全一致する著作は書誌データベース上で確認できなかったため、著者・主題ともに最も合致する本書を対象として要約した。本書は2024年1月、株式会社ウェッジ(東京)より301ページの単行本として刊行され(ISBN 978-4-86310-276-7)、定価は1,900円(税別)となっている。

本の構成

本書は7つの章と終章から構成される。第1章でフェイクニュースが作られる一般的な手法を解説した上で、第2章では無農薬・無添加・オーガニックといった食のリスクをめぐる誤情報を扱う。薬理学者とジャーナリストという異なる立場の共著者が、科学的な事実関係とメディア報道の裏側の両面から同じ事例を検証する構成になっている点が本書の特色である。第3章は遺伝子組換え作物に関する一本の論文が世界に与えた影響を検証する章、第4章は除草剤グリホサートをめぐる情報ビジネスの実態、第5章はネオニコチノイド系殺虫剤をめぐる報道、第6章・第7章はメディアの構造的バイアスと記者の取材上の自由度の問題を扱い、終章ではフェイク情報を見抜くための視点を総括している。

主要な内容(詳述)

第3章は遺伝子組換え作物を主題とし、フランスのカーン大学のジル=エリック・セラリーニ氏らが2012年に発表した、遺伝子組換えトウモロコシとラウンドアップ除草剤を長期投与したラットに腫瘍が多発したとする論文を中心的な事例として取り上げている。セラリーニ氏はフランス・カーン大学の分子生物学教授で、遺伝子組換え作物に批判的な立場から長年にわたり研究・発言を続けてきた人物として知られている。この論文は世界的な報道を呼び、遺伝子組換え作物の危険性を示す証拠として広く引用されたが、実験デザイン(使用したラットの系統が元々腫瘍を生じやすいことで知られる系統だった点、群のサンプル数が統計的に不十分だった点など)に対する科学界からの批判が相次ぎ、掲載誌は2013年に論文を撤回するに至った経緯が詳しく検証されている。使用されたラットの系統(スプラーグ・ドーリー系)は実験動物として自然発生的な腫瘍の発生率が元々高いことで知られており、2年間という長期の観察期間中に対照群も含め相当数のラットに腫瘍が見られたにもかかわらず、投与群のみが強調して報じられた点も、批判の中心的な論点の一つとして本書で解説されている。著者らは、撤回に至った科学的な問題点を丁寧に解説する一方で、撤回後も同論文が一部で「危険性の証拠」として引用され続け、誤った情報が一度拡散すると訂正が追いつかない「フェイクニュースの残存性」という構造的問題を指摘している。実際、セラリーニ論文は2013年に『Food and Chemical Toxicology』誌(インパクトファクター約3)から撤回された後、2014年には『Environmental Sciences Europe』というインパクトファクターが0.55程度の若いジャーナルに実質的に同一内容のまま再掲載されており、この再掲載時に本来の査読プロセスを経ていたのかどうかを巡っても論争が生じた。著者らはこうした「撤回された研究が、権威の低い媒体を経由して形を変えて生き続ける」という現象自体を、フェイク情報が根絶されにくい典型的な構造として位置づけている。

本書全体を貫く方法論としては、(1)一次情報源(査読付き論文や公的機関の評価文書)に当たること、(2)統計的な有意性やサンプルサイズの妥当性を確認すること、(3)特定の立場からの引用のみに依拠していないかを確認すること、(4)メディアが「危険」を扇情的に報じる経済的・構造的インセンティブを持つ場合があることを認識すること、という4点が繰り返し強調される。また、グリホサートやネオニコチノイド系農薬についても、国際がん研究機関(IARC)による発がん性分類の解釈が国や機関によって異なる経緯や、各国規制当局(欧州食品安全機関EFSA、米国環境保護庁EPAなど)の評価との齟齬がなぜ生じるのかが解説されている。具体的には、IARCが2015年にグリホサートを「おそらく発がん性がある(グループ2A)」に分類した一方で、EFSAや米国EPAはその後の再評価でヒトに対する発がん性の証拠は不十分と結論づけており、この見解の相違の背景には、IARCの分類が物質そのものが理論上持ちうる有害性(ハザード)の評価であるのに対し、EFSAやEPAの評価は実際の使用量・曝露量を踏まえた現実的な健康リスクの評価であるという、両者の評価手法そのものの違いがあることが説明されている。

具体例

セラリーニ論文事件に加え、本書はBSE(牛海綿状脳症)騒動、中国産食品への不安、新型コロナウイルスをめぐる情報の混乱、子宮頸がんワクチンの副反応報道など、日本社会で広く報じられた複数の「食と健康の危機」報道を比較対象として挙げ、共通する情報拡散のパターンを抽出している。子宮頸がん(HPV)ワクチンの事例では、2013年4月に定期接種化された直後、副反応を疑う症例のセンセーショナルな報道を受けて同年6月には厚生労働省が「積極的勧奨」を中止し、接種率は一時ほとんどゼロにまで落ち込んだが、その後の国内外の疫学調査でワクチンと報告された症状との因果関係は明確に確認されず、2022年4月になってようやく積極的勧奨が再開されるまで約9年を要したという経緯が、「危険」報道が公衆衛生に与えた実害の代表例として詳しく扱われている。また、比較的新しいテーマであるゲノム編集食品についても、表示義務の有無をめぐる報道が消費者の不安をどのように喚起したかという事例が終盤の章で扱われているほか、2023年に開始された東京電力福島第一原発のALPS処理水の海洋放出をめぐって、科学的な安全性評価と、中国による日本産水産物の輸入停止措置に象徴される風評・政治的反応との間に生じた大きな乖離も、比較的新しい「危険」報道の事例として取り上げられている。

実践への応用

本書は一般消費者が食品や健康に関する報道・SNS情報に接した際に、感情的な反応をする前に確認すべき具体的なチェックポイントを提供している。著者らは特に、報道が「危険」を強調することで視聴率や購読数、あるいは特定の立場からの支持を得やすいという構造的なインセンティブがメディア側に存在すること自体を、情報の受け手が理解しておく必要があると強調しており、これは唐木氏がリスクコミュニケーションの専門委員として、小島氏が長年の食品報道の現場でそれぞれ実感してきた問題意識が反映された指摘だといえる。報じられている「危険」情報の元になった論文や統計が査読を経ているか、撤回されていないか、サンプル数は十分か、利害関係者による発信でないかを確認する習慣を身につけることが推奨される。特に、撤回された論文であっても検索結果の上位に表示され続け、SNS上で再拡散されるケースが少なくないため、論文自体の掲載ページで撤回(retraction)の表示がなされていないかを直接確認する習慣が重要だと説かれている。食品関連企業の広報担当者やジャーナリスト志望者にとっても、リスクコミュニケーションの実務書として応用できる内容である。行政機関や地方自治体の広報担当者が住民説明会などでリスクコミュニケーションを行う際の留意点としても参考になる内容を含んでいる。本書が推奨する検証手順は、遺伝子組換え作物に限らず、健康食品やサプリメントの効能表示、ダイエット法の是非など、日々のニュースやSNSで見かける健康情報全般に応用可能な汎用的な思考の枠組みとなっている。美容医療や民間療法をめぐる誇大広告への向き合い方にも、同様の枠組みを転用できるだろう。

位置づけ・評価

本書は遺伝子組換え作物の安全性そのものを一から論証する書物ではなく、特定の「危険性を示すとされた研究」がどのような経緯で科学的信頼性を失ったかを検証するメディア・リテラシーの書である。世界保健機関(WHO)や欧州食品安全機関(EFSA)、米国食品医薬品局(FDA)など主要な科学的・規制機関は、現在承認されている遺伝子組換え食品について、既存の食品と同等の安全性があるとの評価で概ね一致しており、本書が検証するセラリーニ論文の撤回という経緯も、こうした国際的な科学的合意の形成過程の一断面として理解できる。日本国内でも食品安全委員会が個別の遺伝子組換え作物ごとに安全性審査を行った上で流通を認めており、本書はこうした既存の規制の枠組みそれ自体を疑問視するのではなく、その枠組みの外側で流布する「危険」言説の妥当性を検証するという、限定された射程を持つ書物である点に留意する必要がある。著者の唐木氏は日本の食品安全行政に長く関わってきた薬理学の専門家であり、本書は科学的合意に基づいた立場からの整理として読むことができるが、遺伝子組換え作物に慎重な立場の論者や市民団体からは、著者らが業界寄りであるとの批判も存在することは付言しておく。唐木氏は「食の信頼向上をめざす会」の代表として、小島氏は科学ジャーナリストで構成される「食品安全情報ネットワーク」の共同代表として、いずれも組織的にリスクコミュニケーション活動に携わってきた経歴があり、本書はその長年の活動の集大成という側面も持っている。